■ 少年と少女のお話


とよ:雪の中の二人

「えすた、えすた」
「何よ、バカチビ」

すけるような肌に銀の髪、美しい容姿をした典型的な北国人の少年の目に涙が浮かぶ。

「チビのユーゴがまた泣いてる」
「泣いてないもん」
「そこは強がるところじゃないでしょう。本当にユーゴはバカね」

灰色の髪にやや日にやけた肌、くっきりとした二重の少女は足を止め振り返ると、あきれたように息を吐いた。
少女の吐いた息は外気に触れて白くなり、なかなか消えなかった。

「それでどうしたの?ユーゴ」
「泣いてないもん…」

ユーゴと呼ばれた少年はまだぐずぐずと鼻をすすり、なかなか話をしようとしない。
さすがに悪いと思ったのか少女は手を伸ばし、フードも被らない頭に少しだけ雪が積もっているのを丁寧によけた。
なだめるように銀色の頭を撫ぜる少女の手は分厚い手袋に包まれていて、少年の頭にじんわりと熱を伝えた。

「泣き虫、甘えん坊、バカユーゴ」
「ばかっていうほうがばかなんだぞ。ばかえすた」

散々憎まれ口をたたいているが、これが本来の彼女たちの姿なのだろう。
少女は今度は少々手荒にユーゴの頭をぐりぐりとなぜ、いたずらっぽく笑う。
ユーゴは頬を膨らませてにらみ返した。もう鼻をすすり上げてはいない。
フードをかぶせてやり、うれしそうにユーゴの額を指先ではじく少女。

「そうね。それで?」
「…いっちゃうってほんと?えすた」

またユーゴの目にうっすらと涙が浮かぶ。
水気を帯びた色素の薄い目に、少女の姿がゆがんで映った。

「そうよ。もうすっかりよくなったもの」

少女は笑みの形を崩さず、静かに言うとユーゴの瞳をじっと見つめた。
ユーゴの顔は今にも泣き出さんばかりにくしゃくしゃになっている。

「いっちゃやだ……」
「無理よ。…聨合が終わるもの」

その言葉はユーゴに、そして自分自身に言い聞かせるようにゆっくりと、やさしく。
ユーゴは両手を握り締め、ぎゅっと自分の腹に押し付けるとうつむいて黙り込んでしまった。
少年の体の中で感情が爆発しそうになるのを必死に押さえつけているのだろう。
幼いながらも耐える姿に、そう歳も離れていないはずの少女はどこか大人びたように微笑んだ。

本当は違う。少女が少年の国を離れるのは、聨合が終わるからでも、体がよくなったからでもない。
戦争が、始まるのだ。

「…お父さんの仕事の都合もあるし」

少女の父は軍人であったから、出兵の準備をしなければならない。
体の弱い少女のために母と二人、少年の国の温泉を頼って湯治に来ていたが、父がいなくなる家を守りに帰らなくてはいけないのだ。
少女の国とユーゴの国が戦うのでないのは救いではあるが、それでも二人が離れ離れになるのに変わりはない。

ユーゴはすっかり下を向いて黙り込んでしまっている。

「またくるから、」
「またっていつ?」

間髪いれず顔を上げるユーゴに、しまった、と思う少女。
表情に出てないといいな、と思いながらも何とか言葉を捜す。

「そうね、ユーゴがちゃんと私の名前を発音できるようになったら、かな」
「えすたって、ちゃんとゆえるよ?」
「バカユーゴ。えすたじゃないわよ」

「私の名前はエスター。エスター・アリー。最初に教えたでしょう?」

「えすたー?」
「違うわよ。エスター」

ユーゴは口の中で何度も唱えるが、うまく発音できずもどかしそうに眉根を寄せた。

「えす…えすたぁ、えすたー」
「さ、早くお使いを済ませて戻りましょう。あんまり遅くなると、離れに行くだけだから許したのにって、おば様にしかられちゃう」
「!、しかられるの、やだ!」
「さぁ、早くしてくださいましな、チビのユーゴくん」

エスターはくすくすと笑うと、律儀に反応して言い返してくるユーゴの前に立って歩き出した。


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「……という、時代が私にもあったのよねぇ」

ほう、と懐かしそうに頬に手を当てため息をつく元・少女。
もう片方の手には冷やした支給コーヒーをなみなみと注いだカップを持っている。

「へぇー、アネゴにもそんな可愛らしい時代がねぇ」
「いやまてセイフ、今とあんまり変わってなくねぇか」

ふんふん、と頷く短髪の青年にバンダナを巻いた青年が突っ込みを入れる。

「ん?何か言った?アジース」
「ナンデモアリマセン」

アジースと呼ばれたバンダナの青年はふるふると首をふると、元・少女えすたにして現・アネゴのエスターはにっこりと微笑んだ。
エスターはあれから成長し、病弱を克服したあと父を追って軍に入った。
ただ父を追って入ったわけではないと、入隊以来ばっさりと切った髪が彼女の覚悟を暗に示していた。
彼女は歩兵部隊に入隊し、順調に戦果を挙げて今では数人の部下を任されるにいたっている。

現在はいわく”微笑だけなら女神級”、”歩く毒舌”、”鬼のシゴキ魔”などと呼ばれ、隊員たちに慕われ(?)ている。

「しかしアネゴ、なんで軍に入ろうと思ったんですか?今の話だと戦争嫌いになりそうな印象ですけど」
「戦争は嫌いよ。当たり前でしょ」

挙手して質問した短髪のセイフが首をかしげていると、隣でぽんとアジースが手を打った。
この二人、なかなかいいコンビなのである。

「もしかして、戦争を早く終わらせてその少年に会いに行こうとへぶっ」
「何か言いましたかな、アジースくん?」

にっこり微笑んで重い手刀をバンダナ青年の首筋に叩き込むエスター。
いすに崩れ落ちる哀れなアジース。その彼に向かって丁重に手を合わせるセイフ。

「そもそもそのときの戦争はもう終わってると思うよ、アジース。10年も前だもの」
「論点はそこじゃねぇだろセイフ…」
「ほらほらじゃれあってないで、そろそろ休憩は終わりの時間よ。戦争はなくとも治安維持に警備。忙しいんだからね」

ひらひらと手を振り、エスターはコーヒーをまずそうな顔で飲み干す。
エスターは支給コーヒーをまずそうな顔で飲み干すのが常であった。もしも支給コーヒーの味が改善され、高級品に劣らない風味のものになったとしてもまずそうに飲み干すだろう。
そもそも、支給コーヒーは国民の税金で出来ているのだから、エスターが渋い顔になるのも無理のない話であった。
味のよい市販品を持ち込むことも出来ないことはなかったが、支給品は消費しなければ一定期間保管された後廃棄されてしまうのでそれもよくない。
隊の中にはアジースのように何でもうまいといって口に入れるものもいたが、それはそれである。

カップを片付け仕事に戻ろうとしたとき、コンコン、とノックをして詰め所に入ってきたものがいた。
エスターの同僚で部下のアイシャだった。

「お疲れ様です。例の件、交代要員決まりましたよ。」
「それはよかった。報告して頂戴」
「はい」

アイシャは西国の暑さを感じさせない柔らかな微笑を浮かべると、手元の書類を捲って報告を始めた。

「私の産休交代要員は聨合国から派遣されることになりました」
「へぇ。珍しいわね」
「ええ、志願されたそうです」

それを聞いてエスターは難しい顔をした。
出撃用の編成部隊ならともかく、北の聨合国からの兵員がエスターたちの所属隊に来るとは珍しい。
エスターの所属は市内詰所勤務。ましてやここは乾燥して熱い西国だった。
熱い西国の市内につめなくてはいけないこの部隊に、北国からわざわざ志願するとは一体どういった了見だろうか。

「金持ちの息子とか?」
「いえ、そういうことではないようです。普通の温泉宿の息子ですね」

富豪の息子が兵役に出され、あまり危なくないようにと市内勤務にされるならまだわかる話だが、そうでもないとアイシャは言う。
もっとも市内勤務だからといって安全ということも暇ということももちろんなく、日々歩哨や警戒任務、治安維持などに忙しくしているし、犯罪者は時に武装して襲い掛かってくる。

「……物好きか、志が高いかどちらかしら」
「後者だといいですね」
「えー、自分はどっちでもいいですけど。仲良くなれるといいなぁ」
「いきなり手刀をたたきつけくるとかじゃなければ自分はそれで」

4者4様の意見が発せられ、詰所はまた騒がしくなった。
ああでもないこうでもないと言い合ってるときに、ふとアイシャの書類をまくる手が止まった。

「あら、これは」
「どうした?」
「到着日、今日になってますね、話題のヤンソンくん」

すると詰所のドアをどんどんどん、と少々手荒に叩く音が聞こえてきた。
あらあら、とアイシャがドアをあけると背の高い青年が立っていた。

「あなたは?」
「は、1週間後からこちらに配属になりますユー……」

エスターの姿をみたとたん、名乗りかけた台詞を引っ込め絶句する青年。
エスターはというと、こちらはいやな予感に顔をしかめていた。

「…続きを名乗るように」
「…は!自分はユーゴ・ヤンセン二等兵であります!あ、あの」

感極まって双眸に涙を浮かべるユーゴ。
ああ、変わってないなぁと思ったのが運のつきか、ふと気が抜けた隙に、こともあろうに部下の前で。

「会いたかったああああああああああ!!!エスター!!!」

抱きつかれようとは。

ミサ:再会

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―――後日談。

在りし日のユーゴ少年、現在のヤンソン二等兵は即刻アジーフ、セイフ両名によって取り押さえられた。
本来ならば不敬を働いたとして懲罰ものであったが、赴任前ということで穏便に腕立て伏せ200、体操5回、フルマラソン一回の特別訓練が与えられた。
ヤンソン二等兵はこれを歩兵服のまま襟一つ乱さずにやってのけると、これまでの経緯をつらつらと話し出した。

エスターが去ってからは日々寂しかったこと。
エスターの名前は離れてから1ヵ月後に言えるようになったこと。
ずっと待っていたこと。
やがて新聞の出兵記事の写真で、エスターらしき人影を見つけていても立ってもいられず方々に問い合わせたこと。
確証はえられなかったが、それでも同じ国にいられればいいと思って出兵を志願したこと…

「わかった、お前はいいやつだ…!!」
「いまどきこんな子がいるんだねぇ」

目頭をおさえてばしばしとユーゴの肩を叩くアジーフ。どこかのんきに感想を述べるセイフ。
にまにまと笑みを浮かべて口元を押さえるアイシャ。
そして憮然とした面持ちでじっと黙っているエスターを見ると、ユーゴはうれしそうに微笑みかけた。

「会いたかったであります」
「…なんというか」

軍隊言葉で話しながらもなあに、と首をかしげるユーゴ。無邪気なところは10年前とまったく変わっていない。
だからこそ不安になる。

「ここがどこだかわかっているのか?ヤンソン二等兵」

歩兵部隊は市内勤務だからといって安全ということも暇ということももちろんなく、日々歩哨や警戒任務、治安維持などに忙しくしているし、犯罪者は時に武装して襲い掛かってくる。
そんな気持ちで勤まるのか。エスターの心配も無理からぬことだった。

「わかっております、エスター・アリー軍曹」
「…そうか」

もう幼いだけのチビでバカなユーゴはいないのだな、とエスターが感慨にふけようとしたところ、ユーゴが言葉を重ねてきた。

「祖国と、そしてあなたの生まれ育った国と、その民を守ります。生涯にかけて」

訂正。バカユーゴはまだここにいた。
憮然とした表情で感情を隠すが、赤くなった頬までは隠せない。
にまーーーっと笑う部下および同僚3名の視線にさらされ、エスターはこれからの歩兵生活の困難さを思い心中で頭を抱えた。

しかしエスターは内心ではこうも思っていた。
髪を切り、背も伸びた姿を一目見て自分だとわかってくれたことがひどくうれしい。
そして、エスターも顔を見た瞬間ユーゴだとわかったのだから、それはきっと―――



これから、厳しくも楽しい日々が続くことになりそうだ。





― 少年と少女のお話 
― 了