一方変わって、戦うばかりが歩兵の仕事ではなくなってきた面もあった。
そのサイズと汎用性、視野の広さが買われ、歩兵は災害時の救難・復旧活動を行うようにもなっていたのである。
災害に見舞われた街では建物が倒壊し、道をふさぎ物資輸送用のトラックが立ち入ることができないことも多かった。救助隊を輸送するトラックも同様である。
そんなとき歩兵たちは、常から徒歩での移動・戦闘を主任務とし培った堅牢な足腰を生かし、瓦礫と化した街を歩いて救助活動を行った。
声を張り上げ、要救助者の声を拾い、瓦礫を除去しこれを助けた。
応急処置を施した要救助者を担ぎ、担げないほどの負傷者は担架を用い、何キロも歩いて医者の元へ、そして家族の元へと届けた。
要救助者がその行程にくじけそうなったときは激励して励ました。
物資を担いで避難所へ徒歩で運搬することもあった。
I=D部隊や航空部隊が華々しい戦果を挙げる陰に隠れ、このような歩兵たちの活動を知る人は少なかった。
しかし、彼らに助けられた人々はその恩を一生忘れることはなかったという。
また、救助だけでなく復旧活動においても歩兵は活躍した。
瓦礫の除去、ライフラインの整備、交通網の復旧、仮設住宅の敷設など活動内容は多岐にわたり、大いに市民を助けた。
災害による人被害を避けるため、各国では災害が予測された時点・あるいは災害発生初期に政府から避難指示が発令される。国民が各自で判断し自主避難を行うケースもあった。
災害時は平時冷静な人物であっても落ち着いて行動することは難しく、たびたび混乱が起こった。
混乱による被害拡大を防ぎ、迅速に避難を行うためには地理をよく知るものによる避難誘導が不可欠である。
また、災害種類や被害状況、地域特性により誘導方法も変わり、臨機応変な対応も求められる。
このため、応用の利く歩兵部隊が避難誘導にあたり、よく勤めた。
また、災害時には公共交通機関が麻痺することもたびたびあり、道路上は避難する人々であふれかえった。
避難しようとした先で道路が崩れ、立ち往生してしまうこともあった。
電気の供給も途絶え信号が機能しないこともあり、そんなときは避難誘導の任に付いた歩兵が交通整理も行った。
そもそも交通整理については祭典や突発的な事故などにより、交通渋滞が巻き起こったときには歩兵が動員されるようになっていた。
いずれもI=Dや航空機では不可能な、汎用性の高い歩兵ならではの任務といえよう。